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AIをうまく使う方法は、丸投げだった。

AIに何を聞けばいいかわからない人へ — AIが使えないのは能力ではない、丸投げを学ばなかった文化の話。

AIが使えないのは、能力ではない。「丸投げ」を学ばなかった文化の話だ。

答えを先に言う。環境が悪い。教育が悪い。あなたが生徒会長じゃなかったから悪い。そして、あなたが悪い。ただし、これはあなたの「能力」の話ではない。あなたが育ってきた「文化」の話だ。

丸投げを学ばなかった国

小学校を思い出してほしい。日直という係があった。黒板を消す、号令をかける、配り物をする。だいたい二人一組で、決められた仕事を黙々とこなす。そこに「誰かに指示を出す」という経験はない。ワンオペが二つ並んでいるだけだ。

グループワークはどうか。リーダーが意見をまとめる。ここまではいい。ただ、その先が日本独特だ。まとめた意見を成果物に落とすとき、みんなで集まって、みんなで確認しながら、みんなで作っていく。「この部分、あなたにまかせた」という瞬間がない。誰かに丸投げすることを、私たちは学んでこなかった。

経理の話をしよう。昔の経理担当者は、会社のすべてを知っていた。帳簿のつけ方から税務処理の流れまで、頭の中に全部入っていた。そこへ会計ソフトが登場する。最初、ベテランたちは抵抗した。「このソフトはうちの会社のやり方を考慮していない」「あの機能が足りない」と。

しかし会計ソフトは、会社独自のルールではなく、国の法律そのものを体現していた。ソフトのやり方が正解だったのだ。そして、会計ソフトとともに学んだ新しい世代が、気づけばスペシャリストになっていた。AIも、同じ転換点にある。

「使っているつもり」の罠

ある開発者がこんな話をしていた。iPhoneの表示バグを直そうとして、Googleで検索しても解決しない。ところがAI検索で出てきた対処法を試したら直った、と。

ただ、その直し方は危うい。断片的な情報をつぎはぎした修正は、別の箇所に影響を与えるリスクがある。彼はAIを使ったのではなく、AIが出してきた答えを信じただけだ。

企業サイトに埋め込まれた「AIチャット」も同じだ。あれは、用意された質問と回答のセットに過ぎない。「このソフト、入力しにくいですね」と話しかけても、「申し訳ございません」以上の言葉は返ってこない。「だったらB社のソフトに乗り換えた方がいいですよ」なんて言わない。あれはAIではなく、洗練されたQAマシーンだ。本物のAIとの対話は、もっと違う。

料理を作るとき、あなたはどうするか

ちなみに我が家のご飯担当は私だ。そしてレシピは、すべてAIに相談している。こんな使い方だ。

「なす味噌の作り方書いて」とまず投げる。レシピが出てくる。「これ、6歳でも食べられる?」と投げる。「お子さん向けに調整します」と返ってくる。「甘すぎない?」「砂糖を減らしますね」。「冷蔵庫に白味噌しかないんだけど」「では白味噌のレシピに変更します」。サバを焼いているときは、写真を撮って「もう焼けてる?」と投げる。「あと2分くらいです」と返ってくることもある。

AIを使えない人は、逆をいく。最初から完璧な質問を作ろうとする。「6歳の子どもも食べられる、白味噌を使ったなす味噌のレシピを教えてください」と一行で送る。返ってきたレシピに砂糖が入っていると、「なんで砂糖を入れるの?」とイライラして、「もういい、自分で作る」となる。

どちらが正しいか、ではない。どちらがAIの使い方として自然か、という話だ。完璧な指示書を作ってから部下に渡す上司はいない。「とりあえずこれやっといて」「あ、それ違う方向で」「ちょっと待って、条件変わった」——そのやり取りの中で、仕事は進む。AIも同じだ。

手元にいるのはエキスパートだ

冒頭に戻る。あなたがAIを使えない理由は、能力ではなく文化だ。丸投げを学ばなかった。完璧な依頼書を作ってから渡そうとする。答えが少しでも期待と違うと、自分でやろうとする。

ただ、見方を変えてほしい。あなたの手元にいるのは、料理も、文章も、数字の計算も、法律の調べ物も、なんでも対応できるエキスパートだ。しかも文句を言わない。何度やり直しても怒らない。「やっぱり違う」と言っても、すぐ直してくれる。

使い方はシンプルだ。まず投げる。気に入らなければ、また投げる。それだけでいい。完璧な指示を準備する必要はない。あなたは生徒会長でいい。細かい仕事は、エキスパートに任せればいい。

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