学校が嫌いだった。ファイナルファンタジーが好きだった。
でも学校に行かないと、卒業できなかった。

高3になったころ、友人がこう言った。「自衛隊の試験を受けようぜ」。
特に進路も決まっていなかったので、いいよと答えた。

自衛隊の試験に受かった。
その報告を担任にすると、意外な言葉が飛び込んできた。
「え?小野さんって卒業する気あったの?」

どうやら単位が足りなかったらしい。
冬休みはなかったが、無事に入隊した。


任期隊員として奮闘した。
正社員になるための試験は、1/50の倍率で年2回。かなり厳しいものだった。
6年目。試験前は自主外出禁止。ストレスがたまる。
次の更新で必ず正社員になれると言われていたが、強がってやめた。


建築業の営業として会社員になった。
初めての契約は、先輩が芝居を売ってくれて取れたものだった。
あんまりうれしくなかった。

外面がよかったのか、営業には向いていたらしい。
よく会う入札相手の会社から引き抜きの話があった。乗った。

そこで5年ほど、営業と現場管理をやった。
そのとき、姉の旦那が「1万円でPCを作ってくれる」という話を聞いた。

え?PCって作れるの?しかも1万円で?

ものづくりが好きだった僕の衝動に火がついた。
CADを覚え、小さなリフォームから図面を引いた。楽しかった。
仕事が取れるよりも、CADを引いてお金がもらえる環境が楽しかった。


その建築会社が傾きはじめた。
給与を取りっぱぐれるかもしれない。
そう感じた僕は、早めに退職した。

次はPC系のテクニカルサポートになった。
しかしその頃にはすでに、インバウンド自体が過疎化していた。

途方に暮れていたとき、市が開催する就職セミナーに応募した。
たまたま、プログラマーコースだった。

35歳だった。

新しいことを覚える自信がなかった。
自分の人生ごとFORループで回されている気分だった。

でも、転機が来た。

営業で培った面接だけは得意だった。
なんとかIT会社のOJTが決まった。

そこで僕は、これまでの現場管理の経験を武器にした。
OJTのチームをまとめ、契約社員から正社員へ。
38歳でグループリーダーになった。


ただ、自分で作る道は諦めるしかなかった。
35歳からのプログラマーはきつい。

でも、現場で培ったインターフェースへの感覚は強かった。
というより、あるべき論のかたまりだった。

仕様書通りに作られたシステムを見て、腹が立った。
スマホで縦にも横にもスクロールさせる画面。
「仕様書に書いてないからいい」らしい。

これで納得して仕事ができるとは思えなかった。

開発待ちの時間は何もせず、いざ検証になったら二徹する。
そんなIT土木にも嫌気が差した。

思い切って独立した。

ちょうどそのとき、開発先だった別会社からオファーをいただいた。
すんなり独立できた。本当にありがたい話だ。


ようはあれだ。どこにロマンを持つか。それが生きがいになる。

僕のロマンは、ものづくりだった。
PCを作り、CADを引き、コードを書き、アプリを作る。

令和になって、AIが相棒になった。

AIは、使うものではない。最高のパートナーだ。